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勇気を出せないのはなぜか

気になっている異性がいるとする。
話しかけたいが、話しかけられない。
するとそばにいた友人がこう言った。

「勇気を出せ」

こう言われて勇気が出る人がいるだろうか?
異性に話しかけられるようになるだろうか?
少なくとも私には無理だ。

勇気を出すためには条件があるのだ。

勇気の条件

勇気を出す条件、それはズバリ「自己効力感」と「自己肯定感」だ。

自己効力感とは「自分にはできる」「自分には乗り越えられる」という感覚のことである。
自己肯定感とは「自分はここにいてもいい」「自分は自分のままでいい」という感覚のことである。

自己効力感と自己肯定感の違いは、能力存在か、という点だ。

自分の能力を認めるのが「自己効力感」。
自分の存在を認めるのが「自己肯定感」

勇気とはなにか

勇気と自己効力感・自己肯定感の関係について述べる前に、勇気とはなにか考えてみよう。
まずは辞書的な意味を調べてみる。

いさましい意気。困難や危険を恐れない心。

デジタル大辞泉

物事を恐れない強い心。いさましい意気。 

大辞林 第三版

どちらも「恐れない」という言葉を使っている。
これは恐怖心を抱かないという意味ではないと思う。

どんな勇敢な人だって恐怖心を抱くことはあるはずだ。
初めて大きな舞台に立つとき。
味方のいないところで戦わなければならないとき。

それでも立ち向かうための力が、勇気である。


勇気とは、恐怖を乗り越えて行動する力なのだ。

日常に蔓延る恐怖

では、恐怖とはどんなものか。
お化けや強盗に襲われることはもちろん恐怖を生じるだろうが、個人で解決できそうにないのでここでは除外する。

日常的な場面に限定して恐怖を生じる状況を考えてみると以下のようなものがある。

  • 怒られる
  • 無視される
  • 他人の前で発表・演技・演奏・競技する
  • よく知らない相手・異性と会話する
  • 他人に何かを要求する
  • 人に見られながら日常的な行為をする

後半のものほど恐怖心を感じない人が多いと思うが、世の中には日常的な行為にすら恐怖を感じてしまう人がいる。

彼らはなぜそれほどまで強い恐怖心を持っているのか?

自分の価値

個人心理学で有名なアドラーは、勇気を持つことについて次のように述べている。

私は自分に価値があると思うときにだけ、勇気を持てる

「自分に価値があると思う」というのはまさしく自己効力感と自己肯定感のことである。

さきほど説明した自己効力感と自己肯定感の意味を一言でまとめると自分の能力や存在を認めることといえる。 言い換えると自分の価値を認めることだ。


続けてアドラーはこうも言っている。

そして、私が価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益であるときだけである

共同体というのは親密な関係のある人々の集まりのこと。
つまり、家族や職場、地域社会に貢献したとき自分に価値があると感じる、ということだ。

この感覚も自己効力感や自己肯定感で説明できる。
「自分は社会に貢献している」「自分は役に立っている」という感覚は自己効力感といえる。
「自分はこの社会にいてもいい」という感覚は自己肯定感といえる。

なぜ勇気が出ないのか

ここまでの話を整理すると、以下の結論を導く事ができる。

勇気が出ない人は、強い恐怖心を持っている。
強い恐怖心は、自分に価値がないという考えから生じる。
勇気を出すためには恐怖心を和らげてやる必要がある。
乗り越えられる程度の恐怖心にしてやる必要がある。

そのためには自分の価値を認められるようになること、即ち自己効力感と自己肯定感を高めることが必要なのである。

勇気を出す方法

勇気の源は自己肯定感と自己効力感だ。
従って勇気を出す方法とは自己肯定感と自己効力感を高める方法と同じだ。
どちらも似通った方法なので、特に区別せずに書くことにする。

ネガティブな自分も許す

自己肯定感は自分の存在を認めることだ、と述べた。
自分を許すこと、と言い換えても良い。

自己肯定感が低い人は自分のことを責めがちだ。
「こんなことができないなんて自分はダメな人間だ」「人に頼らずこのくらいできなければ」
などと考える。

さらには「こんなネガティブなことを考える自分はダメだ」などと考える


しかし本当に一人でなんでもできる人間などいやしない。
誰だってなにかは苦手だし、なにかは得意なのだ。

「自分はダメだ」と感じるのは、たまたまあなたには苦手だと感じられることが、他人はうまくできているようにみえただけの話。
自分で自分をダメだと決めつけているだけで、本当にダメかなんてわからないのである。

同様にネガティブなことを考えない人などいない。
一説によれば人は一日のうち8割はネガティブなことを考えているそうだ。

別に苦手なことがあってもいい。
ネガティブなことを考えたっていい。

それであなたの価値が決まるわけじゃないから。

日記を書く

とはいってもいきなり自分を許そう!と思っても難しいもの。
「自分」というのは実はとてもあやふやな、抽象的な概念なのだ。

だから、もっと具体的な状態にしてやらないと理解するのは難しい。
理解できないものを許すなんてできないはずだ。

そこで日記を書くことをおすすめする。

日記をおすすめする理由は以下の通り。

  • 手を付けやすい
  • 自分の考えていることを客観的に理解できる
  • 文章力UP
  • アイデアを蓄積できる
  • 不安軽減
  • うつ症状軽減

特に重要なのは「自分の考えていることを客観的に理解できる」という点。
自分を知ることが自分を認めることに繋がるのだ。


自分が体験したネガティブな経験や感情を包み隠さず書くことを「筆記開示」という。
筆記開示には不安の軽減やうつ症状の軽減、幸福感向上といった効果が認められている。
日記には筆記開示の効果もある。
ただ、ちゃんとした筆記開示は一日20分書くとか、ネガティブな経験・感情を書くとかいった条件があるため意外と面倒だ。
その点日記は書く内容に制約がないし、大した文量を書かなくていいから手を付けやすい。

副次的な効果がたくさんあるし、ハードルが低い
適当なノートでもいいからやってみよう。

心理学を学ぶ

心理学は文字通り、心について扱った学問だ。
人の意識や感情がどのように生まれるのか、意識や感情がどのような作用をもたらすのか、といったことを研究している。

自分の考えや行動の発生源を知ることになるから、心理学を学ぶことは自分を知ることに繋がる。

「自分はなぜこんなことを言ったのだろう?」
「自分はなぜこんなことをしたのだろう?」

そういった疑問に一種の答えを示してくれる。
自分が言ったこと・したことの原因がわかると、ある種の安心感を得られる。
こういう理由があるなら仕方ないな、次はこうしよう、と思えるようになる。

その安心が自己肯定感を支えることになる。

成功したら「自分のおかげ」

成功体験の積み重ねが自己効力感を高める。
ちょっとしたことでも、なにかにチャレンジして成功したらその理由を自分の能力や努力、意思によるものと考えよう。


うまくいったとき「運が良かっただけ」「周りの人が助けてくれた」と自分の働きを無視してしまうことがある。

しかし本当に運と周囲の助けだけだったんだろうか?
あなたもなにか行動したからその結果があるのでは?

当たり前のことをしただけだと思っていたとしても、あなたは行動したのだ。
その行動が成功に結びついたことは間違いない。

運とか、周りの人とか、自分がコントロールできないものを成功の理由と考えると、次に似たような状況になったとき困ってしまう。
本当は達成できる力があるのに、「前の状況と違うから達成できない」と考えてしまう。

成功したらとりあえず自分のおかげということにしておこう。

成功は失敗の延長線上にあると考える

人生に失敗はつきもの。
むしろ、成功よりも失敗のほうが多いくらいだろう。

失敗は忌むべきものではなく、自分を成長させるものだ。
失敗して、そこから学んで、また失敗して学んで……
こうして成功に近づいていく。


失敗するたび成功に近づいている

だから、ガンガン行動してガンガン失敗しよう。

そういう意味で、真に失敗と呼べるものは行動しないことくらいだろう。

ボランティアに参加する

自分は役に立っているという感覚が自己効力感を高める。

アドラーは「他者に期待せず与える」ことが勇気を持つひとつの条件としている。
つまり見返りを求めず善行するという意味だ。

仕事だとお金や地位といった見返りのために働いているという感覚が強い。
これだと自己効力感は高まりにくい。

そこで、ボランティアに参加することをおすすめする。
ボランティアの報酬はお金でも契約でもない。
感謝の言葉である。

究極的には感謝の言葉すら求めず、ただ人の役に立っているという感覚だけあればよい。
ただ、これはちょっとストイックすぎるので感謝の言葉くらいは欲しがっていいと思う。

困難は分割して解決する

自己効力感を高めるためには成功体験が必要だ。

でも目の前に困難が立ちはだかっていると成功が遠ざかってしまう。

そんなときはその困難を分割して考えよう。

どこまで分割するのかといえば「手を付けられるようになるまで」だ。

そして分解したものをひとつずつ片付けていく。
分割したものが全部が片付いたら、その困難もすっきり解決だ。
場合によっては一部を解決しただけで丸く収まってしまうこともある。

小さく分割した問題を解決するたび「ここまでは解決できた!」と認識することがなにより大切である。

勇気づけ

ここまでは自力で勇気を取り戻す手法だが、実際のところ自分一人で勇気を出せるようになるのは難しい。
そこで、他人に勇気を与える「勇気づけ」の方法について簡単に説明する。

勇気づけはやり方を間違えるとかえって相手の自信を奪いかねない。

「勇気を出したいと思っても出せないんだよ!」とか
「せっかく応援してくれているのに、自分はなんでできないんだ」とか
考えてしまう人もいるのだ。

人に勇気を与えるにはちょっとしたコツが必要である。

対等であること

これは勇気づけの前提条件だ。
対等ではない関係性だと何をしても相手に勇気を与えることは困難なのだ。

ここでいう対等とは地位が同じとか所属が同じとかいった意味ではない。
「相手も同じ人間だ」という態度のことだ。

上司と部下という関係でも、男と女という関係でも、親と子という関係でも対等であることはできる。
「上下関係があるから」「性別が違うから」「親子だから」といった考えに囚われないにしよう。

感謝すること

相手に何かしてもらったら「ありがとう」という。
すると相手は「自分は役に立っている」という感覚を得ることができる。

単純なことなのだが、意外と難しい。
立場によっては感謝の言葉が出ないことがある。

例えば親子関係では、子供がお手伝いをしてくれたら「えらいね」と声をかけることが多い。
しかし勇気づけという観点ではこの発言は誤りである。
なぜなら対等な関係では「えらいね」という、相手を評価するような言葉は出ないはずだからである。

本を読んでいて自分の同僚に「えらい」と言われたらいい気分にはならないだろう。
たかが読書程度で褒められるなど見くびられたものだ。

相手を勇気づけるなら「褒める」ではなく「感謝」すること。

未来に目を向けさせる

相手の失敗に対して「なぜ?」と問いかけてはいけない。
「なぜ?」というのは「原因」を追求するフレーズだ。

アドラーの考えでは「原因」を追求する行為は「過去」にこだわる行為だ。
今の自分の考え、行動を規定するのは今の自分であって過去の自分ではない。
だから原因を追求することは、相手の考えや行動を束縛する行為となる。

この考えを「原因論」といって、コミュニケーションでは避けるべきことだ。

それに対して未来に目を向ける考えを「目的論」という。
人の行動は「~したい」という目的に沿っている。
だから目的について考えることが建設的だというのだ。

勇気を与えたいなら、相手の失敗に対しては「どうすればいいだろう?」と問いかけるとよい。
次に何をするのか、どうしたいのか、という点に目を向けさせるのだ。

最後に

アドラーは原因論を否定している。
人の行動は過去によって決定されているのではなく、自分の目的意識によって決定されるものと考えているからだ。

しかし私は原因論を否定しない。
なぜなら目的意識は過去の積み重ねから生まれてくるものだからだ。

勇気を出せない人は、自分に価値を見出せないでいる人だ。
自分の価値を見出せない人から生じる目的意識は、失敗を回避したいとか怒られないようにしようとかいった逃避の意識である。

自分の心に堆積し凝り固まった負の感情が、殻に閉じこもることを余儀なくしているのである。
逃避の意識を生むこの堆積物は、簡単に取り除くことはできない。
無理やり取り除こうとしたら中身が壊れてしまう。

長い時間をかけて蓄積してきたものは、同じように長い時間をかけてゆっくり溶かしていくしかないのだ。

今勇気を出せないからといって焦ることはない。
ゆっくり、少しずつ変えていこう。

ABOUT ME
gonzares
27歳ITエンジニアであり提督でもある。 彼女いない歴=年齢である理由を真剣に考える。 趣味は読書・ゲーム・ネットサーフィン等、インドア派。 こっそり小説を書く練習をしている。